【序章】何者でもありませんが、コミュニティは作れますか?

gezan

この記事では… 10年前に平凡なOLだった中里桃子が、気晴らしに参加した読書会をきっかけに人生が好転するまでのストーリーをご紹介します。「読書会に参加する」という、小さな一歩でコミュニティ運営をすることになり、たくさんの人が集まってくれるようになりました。コミュニティ をつくるのに肩書きやスキルやお金や経験は関係なかったんです。今の自分ができる小さな行動が価値になると気づき、小さな価値提供の積み重ねが出版や独立など、たくさんの夢の実現につながっていきました。 わらしべ長者のように価値提供の雪だるまを大きくしてゆくストーリーを通して、ぜひあなたの雪だるまの芯を見つけていただけたらと思います。

なんにも無いところからはじまった

私なんかにコミュニティがつくれますか?

A子さん
A子さん

何者でもないんですけど、私なんかに自分らしい人生とか、コミュニティ運営って本当にできるんでしょうか?

桃子
桃子

大丈夫です。私もかつては”私なんか”って思っていました。

私がコミュニティに出会ったのは、借金もあって、会社員なのに時給換算すると816円(なんと最低賃金!)のときでした。そんな状況の私でも、コミュニティを運営して、最終的に100名が集まってくれたんです。この経験から、みんなが思っているような「コミュニティはすごい人にしか作れない」ということは誤解だったと気付いたんです。

私がコミュニティをつくったときの状況
・時給816円のネイリスト
・資格もスキルもない

・借金もあり生活はカツカツ

私がコミュニティを”偶然”つくることになった当時、仕事面では迷走中。転職をしまくりで年収は右肩下がり、資格もなくて、あるのは借金ばかりでした…。そんな状態だったので「次こそは!」と転職した会社でも人間関係がうまくいかず、人生で一番自信喪失していたときでもありました。

だから、気分転換で参加した読書会がすごく楽しかったんです。


コミュニティのはじまりは、まず参加してみること。

そんな私がコミュニティを作るきっかけになったのは、まずイベントに「参加」をしたことからでした。参加してすごく楽しかったので、主催のKさんに自分の気持ちを伝えたんです。これが当時のメッセンジャーです。自分から送ったと思っていたら、とても丁寧なメッセージを主催者のKさんからいただいていたんですね。

2013年7月30日、初めてコミュニティに参加した時のお礼メッセージ。
その後、8月3日に一緒に主催しませんか?と誘っていただいたときのやりとり。

忘れもしない2013年の夏、何気ないメッセージのやりとりから、生まれて初めてコミュニティを主催することにつながっていきました。

3人の主催者でカフェで決起会

最終的に100人になったコミュニティも、スタートはたった3人でした。品川のカフェに集合して、ひそひそ声で打ち合わせをしたことを覚えています。そこでコミュニティのコンセプトや目指すもの(ビジョン)を言葉にして、コーヒーで決起会をしました。

とはいえ、いきなりスムーズに立ち上がったわけではありません。チーム活動で上手に立ち回ることができなかった私は、何度かトラブルを起こし、離脱しかけました。それでも、声をかけてくれたKさんが私をつなぎ止めてくれて(神ですね)、私自身も自分を活かす方法を掴み、とにかくがむしゃらに出来ることをしていきました。その結果、下記の写真のように100人以上の人が集まってくれる読書会になりました。

どこに行っても人間関係がうまく行かず、人間関係がうまくいかなかった私の初めての成功体験。自分の出来ることで人に必要とされ、たくさんの人に囲まれて、人生が変わりました。

100名規模で、毎月ミッドタウンでイベントを開催していた頃。

何かの活動をしたり、誰かに声をかけて一緒に何かをはじめるときに、つい「お金や地位や肩書き、影響力が必要だよね」って考えてしまうのですが、本当はそんなもの必要なかったんです。お金やスキルやカリスマ性がなくても、毎月のイベントにはたくさんの参加者さんや友達がきてくれて、運営を手伝ってくれました。

実は私は小さい頃からなかなか友達ができなくて、いつも「一緒に遊んでくれるお友達が欲しいなぁ」と思っていました。そして、大人になってからも友達の作り方がわからないままだったので、30歳を過ぎてから、同じ方向を見る仲間ができたことが、ものすごく嬉しかったのです。

そもそもコミュニティってなに?

「コミュニティって何人くらい必要だと思います?」って聞くとみんな「20〜30人くらいかなぁ」と答えてくださいます。私が参加しているコミュニティもそのくらいの人数の場合が多いので、そう応えたくなる気持ちもわかります。

でも、私はコミュニティは自分以外の1人がいたらコミュニティと呼んでいいと思っています。「初めて聞いたよ」という方も多いと思いますが

桃子
桃子

今ここで、私が定義します!
コミュニティの最小単位は(自分も含めて)2人でいい。

これを世界中の共通認識として、広めていきたいんです。例えば、子供のいない夫婦がいたとします。でもその2人も「家族」という意味でコミュニティですよね。「私たちはどんな家族になろうか」って話をしますよね。だから、コミュニティの定義は次のようにしたいと思います。

共通の目的や目標をもって
長期的な関係性を前提に協力しあう2人以上の人

この一口サイズのコミュニティの定義を世界に広めていきます。

家族でも友達でも、学校の教室でも職場でも、地域の集まりでも、2人以上で「私たちはこういうことを大事にしましょう」と考えて、それを実行する時に必要な共通認識や手順を、私は整理してもっと個人単位で使いこなせるものにしたいと思っています。

そもそも、私たちが大切にしたいと思うことは、自分1人だけでは大切にしきれません。例えば、私の大切な小さな2人の子供。この子たちを大切にしたい、大切に育てたいと思ったら、夫の協力は欠かせません。それに加えて、遠く離れた両親、保育園や幼稚園の先生、そして社会のあらゆる場所で働く方々とも結局のところつながっているので、多くの人との協力無くしては、子供たちを大切にすることはできないんです。

つまり、「こういうことを大切にしませんか?」と語りかけて「そうだね」って相手が言ってくれて、一緒に大切にしようとして同じ方向を向いたとき、それは個々の分断された単位ではなく、たった2人からでもコミュニティとして機能していくのです。こうして”私たち”の範囲が自然と広がっていった先に、10人、20人、そして地域といった大きなコミュニティがあるのかなだと思います。

必死にトロフィーを追いかけてきたこれまでの私

2017年に会社を辞めて、起業しました。ずっと一貫してコミュニティのつくりかた、コミュニティを通して自分らしく生きる方法を伝えてきました。

起業した時の理念は

みんながつながりを感じていられる社会を作りたい

すべての人が居場所を感じられる世界を作りたい

という強い思いでした。つながりや居場所は、すごい人でなくても、肩書きやスキルがなくても作ることができる!10年前の私がそうだったように、今、居場所がなくて苦しい思いをしているひとに、伝えたい。そう思ってやってきました。ところが、私自身が会社を辞め独立し、身ひとつで仕事を得ていこうとした時に、ふたたび「肩書きやスキル」を追い求めていたのです。何者かにならねば!と必死で活動していました。

出版を目指してみたり

ウェルスダイナミクスアワード ダイナモ of the year を受賞してみたり

とても華やかだった授賞式

たくさんの目標を設定して事業計画を立てたり

1年の計画だけでもかなりの時間をかけて大量の予定を立てていました


目標を達成し、色々なことを目指して頑張るほど、翌年は「さらに頑張らなきゃ」と自分にプレッシャーをかけるようになりました。本や講座で、生徒さんには「そのままのあなたで価値があるよ!」と伝えていたのに、自分に対しては「私はもっと何者かにならなければ」という幻想を追いかけていたことを白状します。

でも、2022年は第2子を授かり、つわりと出産・育児の目まぐるしさで体調を崩し、とうとう「これ以上は無理できない!」と気付いたのです。

A子さん
A子さん

2022年もすごく活動的だったような印象がありますが
そんな心境だったんですね…!

家事はほとんどしないし、夫も呆れていました。第2子のつわりも酷かったので、里帰り出産と言う名目で、出産の2ヶ月前から実家に帰らせてもらいました。

上の子と一緒に、実家で両親や妹とゆったりと過ごすことで、東京で「何者かにならねば!」と肩に力が入っていたのが、ほっと緩んでいったのです。

桃子
桃子

何者かになりたい!という幻想から自由になって
自分らしく人とつながる方法を伝えたい

そんな風に考えられるようになり、2023年は肩書きやタイトルを追い求める目標を立てるのを止めました。

誰もが そのままの自分で人とつながれるように

もしも、これを読んでくださっているあなたが、かつての私と同じように「何者かにならなければ」と思っていたとしたら、このレポートがお役に立てるかもしれません。

いま、私はあらためて肩書きやポジションを脱いで、「何者でもない自分」でつながり直したいと思っています。いままで鎧のように着込んでいた肩書きやポジションを捨てて、どこまでやれるか?というチャレンジをしています。

具体的には、いくつかのコミュニティに匿名で参加して、自分の本名も肩書きも、仕事も隠して参加。いち母親として、いち個人として、自分がどれだけ新たな場所で新しい人とつながりをつくれるかという実験をしています。

自分に興味がなさそうだった人が、肩書きや権威性を使わずに、コミュニケーションの力だけで目の色が変わったり、ワクワクしてくれたり、話を聞いてくれるようになったり、そういうプロセスを経験しています。

「あぁ肩書きなんていらなかった!やっぱり!」という経験を重ねています。
そもそも、私は最初から、そして今も、肩書きなしに人とつながることが喜びだったんだよなぁと思い出しました。

「序章」のつもりが、とても長くなってしまいました。こちらから登録していただくと、私がお金もスキルもなかった時の、具体的なエピソードを紹介しています。ぜひ読んでみてください。

続きを確実に読みたい!という方は登録していただきますと配信されます。

目次
ー第1章 ポンコツ会社員、コミュニティ主催者になる
ー第2章 月収よりも高い物件を借りてイベントスペースを運営
ー第3章 自分にとって大切なものを決めることからスタート
ー第4章 燃え尽き
ー第5章 鎧を脱いで”わたし”でつながる

こちらから登録していただくと、残りの20,000文字超のレポートがお手元に届きます。

記事URLをコピーしました